2月3月は多くの家の玄関に立ち、多くの方にお逢いしました。
そこには多くの喜びと多くの悲しみがありました。
歳を重ねると悠々自適とはならず、悲しみを深くするばかりです。
心が物事の変化に対応できなくなって、寂しいと感じてしまうのか?
一つ一つの変化に心深くなり心の底に潜む悲しさを感じてゆくのか?
自分の存在が認められず淋しいのか。
いずれにしても、それぞれ人が悲しみを抱えています。
人は悲器。
悲しみの器 読経の声、
今悲しむ方の心に届かんと、
かすれかすれ読み続けるばかり。
悲心をもて一人に施す功徳は
大いなること地の如し
大丈夫論
牡丹、かいど、蕾は春を告げます。
来月は花まつり、お釈迦さま降誕に降り注いだ甘茶をいただこう。