我が物というものは一つもない

道路を走ると、あちこちに

凌霄花ノウゼンカズラが大きな木を覆うが如く、咲き誇ります。

また、山際や各お宅の庭の緑や花が、目を楽しませてくれます。

そのみどりや花を見ていると、

我が物というものは一つもない事に思いが馳せます。

そこには、自他の区別なく、ましては、個という存在もなく、

更には、生も死も内在いていることを感じてしまいます。

また、鳥が空を飛ぶのではない、空が飛ぶのだ。と道元禅師が示される言葉、

野に咲く花を見て、よく分からないながらも、どこか道元禅師のお示しが、心に深く染み入る気がします。

木槿むくげの花も長い間咲き続けてくれます。

このむくげは、少し珍しい美しいむくげです。

私はよく知らないで、バッサリ切ってしまいましたが。今年は見事に復活してくれました。一安心。

また、たわわなる実は、

昨年、悲心さま開眼法要の折、記念植樹された姫沙羅です。

しっかり根付きました。

記念植樹を考え、提供された師の心、ここに実をつけています。

ありがたきかな。もったいなきかな。

今朝は爽やかでアァ気持ちいい。

木漏れ日の中、ソロソロ掃き作務の時間。

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諏訪 普現

昭和24年10月1日 小田原にて生まれる。6才から武生の庵寺で育つ。昭和53年28才福井市霊泉寺住職。翌年、鯖江市長禅寺兼務住職。昭和62年から平成元年にかけ、禅林寺、長禅寺同時期に本堂再建。平成2年より武生市金剛院、福井市禅林寺住職。同時に伝道掲示板書き始める。平成30年、禅林寺に慈恩立ち直り観世音石像建立。 現在、福井刑務所教誨師。