読経中の神秘体験の一件

先日、あろうことか通夜読経の折、神秘体験?をしてしまいました。

亡き人は高齢の方でした。亡き人の一期に心至しながらゆっくりと読経が進むうちに「あれっ、私がお経になっている。葬場全体がお経に包まれている」との感覚になりました。

亡き方も葬場の方も共に、お通夜の時にこんな至福なお経に包まれるなんて、なんて幸せなことなんだろうと思いながら読み浸りました。

これは神秘体験なのでは?そう思う伏線があります。

読んでいるお経は、道元禅師の正法眼蔵八大人覚の巻です。そのお経の一字一句は800年近く前、道元禅師が筆でかかれたそのままの一字一句です。

そしてその分の大本は2600年も前に翻訳されてはいるものの、お釈迦様自身が語られた言葉そのものといわれています。

ひょっとすると、それはここに道元禅師がおられるということではないだろうか。ひょっとすると、お釈迦様もここに?と読経しながらの勝手な思いが湧いてきていました。

そんな勝手な思いが頭の中をぐるぐると、これが伏線になったものか。なんだか私がお経を読んでいながら、私が読んでいるのではない。道元禅師やお釈迦様が、私をして読ませているのでは。だからお経に包まれる。やれやれ、なんということだろうと、後でこの時の体験を思い返しました。

すると、あにはからんや、すぐに神秘体験の原因に思い当たりました。なんのことはなかったのです。マスクです。自分の声がマスクでこもり、あたかも葬場全体がお経に包まれたかのような「盲聞錯覚」に至ってしまったのでしょう。

これが私のお粗末な神秘体験の結末です。一件落着です。

道元禅師もお釈迦様も、あるかないか分からないようなものに心奪われるな、地に足をつけよ、と。ハイ申し訳ございません。

でも、こんな神秘体験?度々浸りたい。

この記事を書いた人

諏訪 普現

昭和24年10月1日 小田原にて生まれる。6才から武生の庵寺で育つ。昭和53年28才福井市霊泉寺住職。翌年、鯖江市長禅寺兼務住職。昭和62年から平成元年にかけ、禅林寺、長禅寺同時期に本堂再建。平成2年より武生市金剛院、福井市禅林寺住職。同時に伝道掲示板書き始める。平成30年、禅林寺に慈恩立ち直り観世音石像建立。 現在、福井刑務所教誨師。