その時の思い

師走というのに暖かい雨模様ですね。

境内の石組みを見ていると、建設当時が浮かびます。

設計図は勿論ありません。

大まかにこういうふうに、との打ち合わせだけです。

その場で石を2段に組んだり3段にしてみたり、

石と石との隙間を何センチにするかなど、

その場の目分量で、石工さんと確かめながら。

今でもこれでよかったか?また、その時の石工さんの見えなかった思いも見えてきたり。

それでも石は知らん顔。

悲心さまはどうご覧じるかなぁ。

先日提唱でお見えの小浜の妙徳寺古坂師、金剛院の山門額、本堂額を見て、私と思わぬよもやま話。

誰がどう頼んで、幻透禅師や即非禅師がどんな思いで染筆されたか?

この一字の影に、何千何万の筆の後が潜んでいることだろうと。

二人でしばし見惚れる時でした。

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諏訪 普現

昭和24年10月1日 小田原にて生まれる。6才から武生の庵寺で育つ。昭和53年28才福井市霊泉寺住職。翌年、鯖江市長禅寺兼務住職。昭和62年から平成元年にかけ、禅林寺、長禅寺同時期に本堂再建。平成2年より武生市金剛院、福井市禅林寺住職。同時に伝道掲示板書き始める。平成30年、禅林寺に慈恩立ち直り観世音石像建立。 現在、福井刑務所教誨師。