師走というのに暖かい雨模様ですね。
境内の石組みを見ていると、建設当時が浮かびます。
設計図は勿論ありません。
大まかにこういうふうに、との打ち合わせだけです。
その場で石を2段に組んだり3段にしてみたり、
石と石との隙間を何センチにするかなど、
その場の目分量で、石工さんと確かめながら。
今でもこれでよかったか?また、その時の石工さんの見えなかった思いも見えてきたり。
それでも石は知らん顔。
悲心さまはどうご覧じるかなぁ。
先日提唱でお見えの小浜の妙徳寺古坂師、金剛院の山門額、本堂額を見て、私と思わぬよもやま話。
誰がどう頼んで、幻透禅師や即非禅師がどんな思いで染筆されたか?
この一字の影に、何千何万の筆の後が潜んでいることだろうと。
二人でしばし見惚れる時でした。