花と草と、その命になんの違いあらんや

おはようございます。

昨晩は、孫と一緒に武生花火観賞。

ちょうど山門のすぐ前が、隠れたスポットです。

流石に低い花火は見えませんが。

17年も前に植えられた、苦行像後ろの

沙羅の木、葉が茶色に。慌てて水やりをはじめたのですが、

間に合わなかったかな?

なんとか命をつないでと願うばかりです。

紫陽花も茶色く気の毒なようです。

こうして、枯れゆく草木を見ていると、

絵師若冲が書き残した

無惨にも枯れ朽ち果てる草木を描いた屏風絵を思います。

煌びやかな孔雀絵と、枯れ草絵と、

若冲さんの中では同一なのでしょうか?

道元さんは、

花は愛著に散り、草は棄嫌におうるのみ。

花は愛おしまれつつ散り、

草は嫌がれても生える。

花と草と、その命になんの違いあらんや。

と言われているようです。

それでも、お天道様、もう少し何とかしてくださらんものならんや。

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諏訪 普現

昭和24年10月1日 小田原にて生まれる。6才から武生の庵寺で育つ。昭和53年28才福井市霊泉寺住職。翌年、鯖江市長禅寺兼務住職。昭和62年から平成元年にかけ、禅林寺、長禅寺同時期に本堂再建。平成2年より武生市金剛院、福井市禅林寺住職。同時に伝道掲示板書き始める。平成30年、禅林寺に慈恩立ち直り観世音石像建立。 現在、福井刑務所教誨師。