この世には浄不浄の区別ない

おはようございます。

大量の欅の落ち葉、軽トラに運ばれ、野菜農家さんの畑へ。

散ってすがれた落ち葉は、畑の野菜さんの中へ。

蛇足ながら、道元禅師の作務の心を。

作務は、汚れたからきれいにするのではない、作務をする事自体が仏作仏行。と。

この世には浄不浄の区別ない。

また、何のためにと言う頭の中の意味づけはいらない。ただするだけ。と。

落ち葉だらけも良し、また掃かれた後もまた良し。

なんの差異ぞあらん。

やれやれ道元禅師は難解難解。

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諏訪 普現

昭和24年10月1日 小田原にて生まれる。6才から武生の庵寺で育つ。昭和53年28才福井市霊泉寺住職。翌年、鯖江市長禅寺兼務住職。昭和62年から平成元年にかけ、禅林寺、長禅寺同時期に本堂再建。平成2年より武生市金剛院、福井市禅林寺住職。同時に伝道掲示板書き始める。平成30年、禅林寺に慈恩立ち直り観世音石像建立。 現在、福井刑務所教誨師。