金剛院の山号額、本堂正面にあります。
ダイナミックで力強く、それでいて軽やかな遊び心が見て取れ、圧倒されます。
極めて能筆です。
こんな字を書いてみたいと、思うのも奥がましいことかと。
染筆された即非禅師、江戸時代初期の方、中国福建省出身、
請われて渡来され、京都黄檗山を、隠元禅師の後を継いでおられます。
黄檗三筆の一人と。
江戸初期、
交通もままならない中、どのように染筆を依頼されたものなのか?
思いを巡らすと、当時の闊達とした交流に想いが馳せます。
また、現在の本堂は江戸後期再建ですから、
この額は、最初どのように掛けられていたのでしょうか?
ひょっとして、京都伏見桃山、黄檗山の近くに、金剛院の末寺があります。
太閤さんが開かれ、利休さんと語らいを持たれた名刹です。
そのようなご縁もあったのかな?
お寺が近くであっても、良き交流がなければ、依頼することも難しいかも。
また、字は依頼者の熱意によっても、気合いの入り方が変わります。
今は遠くなれど、額は色んなことを語ってくれています。
物をして語らしむ
深い言葉です。