けせない 悲しみを 見つめる(掲示板2021年10月)

けせない 悲しみを 見つめる

『消す』と『忘れる』のとはどう違うのだろう。

『悲しみ』と『つらい』感情はどう違うのだろう。

『悲しみ』とは自分の悲しみだろうか、人の悲しみだろうか。

『見つめる』とは具体的にどんな行動なんだろうか。

掲示板の字を書きながら、私の頭はグルグルです。

そして、掲示板を見られた方も頭をグルグルして貰えればありがたいですね。

でもグルグルしても、正解は出ないでしょう。

そうです、グルグルが大事なんです。グルグルが心を深めてくれるのでは。

ちょっと見て分かったとは思わないでください。

この記事を書いた人

諏訪 普現

昭和24年10月1日 小田原にて生まれる。6才から武生の庵寺で育つ。昭和53年28才福井市霊泉寺住職。翌年、鯖江市長禅寺兼務住職。昭和62年から平成元年にかけ、禅林寺、長禅寺同時期に本堂再建。平成2年より武生市金剛院、福井市禅林寺住職。同時に伝道掲示板書き始める。平成30年、禅林寺に慈恩立ち直り観世音石像建立。 現在、福井刑務所教誨師。