掃き目の跡は美しく

枝に葉がなくなりました。 

でも、一風でどこからともなく落ち葉が溜まります。 

二昔も前でしょうか。 

雪解け後の道路を涅槃托鉢のおり、 

高齢の方が道路傍を小さな箒で掃き掃除、 

ゴミも見えないのに? 

冬溜まった芥を擦るようにしておられた。 

通り過ぎ、次の家に立つと、

先ほどの方が私の脇を通り、そっと家の中に, 

お待たせしましたと、托鉢浄財を。 

その柔らかい物腰が忘れられません。 

毎年托鉢の折りにお会いできるのが楽しみになりました。 

でも数年すると、

玄関前には落ち葉が、

戸には鍵が。 

どうされたのかわかりません。 

でもその方の余香は今も香り高く蘇ります。 

その方から学びました。 

家(お寺)の前の道路を掃除することを。 

そして掃く度にその時の情景が。

その方は今も私の中に生き続けておられます。 

掃き目の跡は美しく、

気持を爽快にしてくれます。

至福です。

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諏訪 普現

昭和24年10月1日 小田原にて生まれる。6才から武生の庵寺で育つ。昭和53年28才福井市霊泉寺住職。翌年、鯖江市長禅寺兼務住職。昭和62年から平成元年にかけ、禅林寺、長禅寺同時期に本堂再建。平成2年より武生市金剛院、福井市禅林寺住職。同時に伝道掲示板書き始める。平成30年、禅林寺に慈恩立ち直り観世音石像建立。 現在、福井刑務所教誨師。