秋は境内。
前回、紫式部も越前のこの地から、
今と同様な秋空の中にあったのでは、と書きました。
秋の山野草を見ていると、
ふっと、道元禅師も、近くの北国街道を歩いて京と越前を往復されたことかと。
そこを歩かれる道元禅師が思い浮かぶ時、道元禅師が身近に感じられてしまいます。
なんと不遜かな。
思いは至り、禅師も同じ秋の中に有られたんだろうなぁ。
ありがたいなぁ。
鳥を見て、鳥が空を飛ぶのではない、
空が空を飛ぶ と見られた道元禅師は、
この秋をどう見られたのだろうか?
秋が来たから草木が秋色になるのだろうか?
草木が秋色になるから秋になるのだろうか?
秋が私なのか、
私が秋なのだろうか?
来月参拝に行く、奈良の御仏は、秋をどう見られるのだろうか。
何か面白いなぁ。