おはようございます。
生きた人の
息づかいは
時を経て
よみがえる
九月は秋彼岸
いよいよ9月です。
9月10日は御開山の祥月命日。
4年ぶりに御開山忌法要、大般若六百卷転読祈願法要を勤めます。
長い間あくと、準備の段取りを忘れてしまいます。
まぁやりながら思い出して行きたいと思っています。
御開山さんが遷化されて580年位。
そのお身体はなくなり跡形もありません。
でも、御開山玉翁正光和尚の開かれた金剛院は今も、ここにあります。
準備をし、法会を勤めることによって、当時の様子に想いを馳せます。
なぜ金剛院と名付けられたのだろう。
なぜ山号を慧日山とされたのだろう。
本尊さまは、当時携わった人々の分身?では?
最終的に此処に建てると立てると決断された時のお心中は?
資金は?
怒涛のような毎日であったでしょう。
それを支えた信心の深さ。
さらに、600年近く連綿と受け継いだ方々の想い。
御開山は亡くなって何も残っていませんが、
でも、
その息吹は今も此処に厳然としてあります。
法会を勤め、その息づかいを汲み取って行きたいものです。
歌手加藤登紀子さんの言葉から。
今生きるということは、亡き人と共に生きているということ。