ようやくに
曼珠沙華のびる
彼岸明け
春は春花
夏は夏草
秋は秋草
小6の孫は修学旅行
飛び跳ねるように出立。
老いゆく我は、目も耳もうつろ。
歩く姿は緩慢。
秋彼岸明け、境内を巡れば、ようやくに彼岸花。
今日明日には松明の如くの開花するでしょうか?
毎年咲く時節には咲く。
でも、今年は一週間前後遅く、気をもむばかり。
見れば境内は、彼岸花だけにあらず、
糸芒や、名も知らぬ小さきはなはな
ペンペンとした秋雑草などが咲きそろい。
草ぐさのみならず、
人にも春あり夏あり秋あり。
秋草は、秋が来るから秋に咲くのだろうか?
老る我は、時を経るから老るのだろうか?
秋草咲くから秋なんだろうか?
時節が来るから老いるのだろうか?
時間は花であり、人である。
秋草は冬には存在を消してゆく。
人も老いて後、存在を消してゆく。
それぞれの個の存在は消えゆく。
でも大自然は、それぞれの個を超えて存在し続ける。
個は無に帰す。
無は仏というか。
秋は物悲しい。